コンプライアンスと市場経済


 コンプライアンス(法令順守)という言葉をよく聞く。事柄の重要性は理解できるとしても、これまであまり身近には感じることは少なかった。でも近頃では、こうした考え方がだいぶ社会に浸透しているということを実感する。



 たとえば、付き合いのある会社の責任者などは、「法令でこうなっています!」と畳みかけると、たいていは聞いていただける。以前は、「そこまでやるのですか?」「それは建前ではわかるけど、現実にはむずかしい」などと反論されたものである。それが近頃では、「法令で決められていることは、最低限クリアしておくことが必要ですね」というようにかなり考え方が変わってきた。



 また、以前は、どうしても納得していただけない方には、「そのままにしておくと、役所に指導されますよ」と釘をさしていた。でも、近頃では、「このままで本当に法律的に問題ないのでしょうか?」を逆に質問される機会が増えてきた。



 こうしたコンプライアンスの浸透は、アメリカ流の市場経済の影響であることは間違いない。規制緩和やグローバル化によって企業は厳しい価格競争にさらされるようになり、これまでのような村社会の意識や方法ではやれなくなった。そこでは、内部的な慣行や習慣ではなく、国家の法によるルールがなによりも優越するようになる。



 投資家や取引先などのステークホルダー(利害関係者)、消費者などに対しても、普遍的な法のルールによって説明責任や製造物責任を果たさなければならない。そうではないと、企業は失格の烙印を押され、事業活動そのものが成立しなくなるわけだ。



 また、最近の相次ぐ企業不祥事が、主に内部告発によって発覚していることからもわかるように、労働力の流動化は社員の意識をドラスティックに変えた。終身雇用が守られていた時代は、自分の会社の不祥事を積極的に告発することは少なかったはずだ。定年までの雇用を保証してくれる会社は裏切れない。しかし、いつ首にされるかわからないような状況になって、社員も企業にとってストレンジャーになってしまった。



 このような状況の中では、企業はコンプライアンスを徹底せざるを得ない。それは法令の価値や意義を深く認識したからでは必ずしもない。あくまで法的な攻撃・防御の方法の1つとして選択されるのである。



 企業がコンプライアンスを志向してくれるのは、法律家や実務家にとっては好ましいことである。商売にもつながる。でも、とくにか法令を守っていればいいという姿勢には疑問も感じる。市場主義も行き過ぎると、本来深い意義を持っているはずのコンプライアンスもそれこそ形式化する危険性があると思う。



 法には趣旨や目的というものがある。守らなければならない背景や理由がある。重要なのはそのことをよく理解することだ。コンプライアンスの高まりは結構なことだが、私的紛争を防御するという側面だけではなく、市民社会の一員としての自覚も併せて深めていって欲しいものである。



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